2024年秋分の酒丸。

2024年秋分の酒丸。


 2024年の立秋を迎えました。
酒丸です。
「暑い暑い」と言っていたのもやっと過ぎ去り…
もうすっかり秋になってきましたね。
私は毎朝新聞を読むタイプの人間なのですが…
先日の折込チラシに興味深いものを発見。

なんと!
あの有名なCAINZ(カインズ)さんも、
今年で35周年らしいです!(パチパチ)
ほぼ同時に開業していたんですね。
一方的に親近感が湧いてしまいましたw

 さて。
本日のブログは…
前回の「2024年白露の酒丸」からの続きです。
倉庫の引っ越しを終えたら、
創業時からのポストカードが発掘されたという話を書きました。
1989年9月28日の第1号店オープンから遡り…
2005年のドライボーンズ名古屋店開店、
2007年のオンラインショップ本格化、
というところまで書きました。

なので今日のブログはその続きから。


2009年9月25日、本社を移転。
なんと今週で15周年w
中目黒にあった本社事務所を、
世田谷代田の一戸建てにお引越ししました。
約100坪あった中目黒の事務所から、
60坪の昭和古民家に移ったのです。
この頃は…
ドライボーンズブランドの他に、
イギリスの「ルイスレザース」のヴィンテージバージョン、
「D ルイス」も我が社で企画生産しておりました。
ルイスレザースの大ボス、
Mr.デレックとの喧々諤々(けんけんガクガク)なやりとりも、
今や懐かしい。
たまにはまた、飲みたいものです。
また、我が社で長年働いていた女性スタッフの発案で、
レディースブランドである「ミュベック」も企画生産していました。
ミュベックとは…
その女性スタッフが企画の根っことして掲げたコンセプト「艶(つや)」を具現化したブランドでした。
艶と言う漢字の部首「曲(MUSIC)」と「豆(BEANS)」、
そして「色気の色(COLOR)」を合わせて作った造語。
MU(SIC)BE(ANS)C(OLOR)でMUBEC。
女性の顧客さんの中では、
未だに着てくれている人も多く嬉しい限り。
この女性の介護退社で、
このブランドは終焉となりました。


そしてその後、
2015年2月14日のバレンタインデーに福岡店が移転。
今泉の物件を出なければならない事情が起こり、
新たな物件を探していたんですが…
今度は博多の中央である「大名」に物件が出て、
そこに移転となりました。
広さはほぼ同じだったんですが…
前を通る交通量はおそらく100倍以上
今後が期待された物件への移転でした。

そして2017年。

ドライボーンズブランドが、
全てこのネームデザインで統一されました(一部は除く)
それまでは…
1950s系のアイテムはブラックラベル、
1920s系のアイテムはボルステッドラベル、
ブリティッシュ系(D Lewisの流れ)はグリーンラベル、
その他の雑貨(サングラスや缶バッヂ等)はイエローラベル…
なんて分けていました。
が、それぞれの特徴を併せ持つアイテムや、
どこにも所属しないアイテム、
もっと実験的に企画してみたいアイテムなど、
4つに分ける意味が見出せないモノも出てきました。
そこに悩むのも時間の無駄だったので…
ここらで全部、集約しちゃおう!となったのです。
それはその後に良い方向に向くことになります。

 そして日本が大きな転機となったこの2020年。

2020年4月1日。
ドライボーンズ福岡店が独立。
2001年の開店からずっとドライボーンズ福岡店で働いてくれていたスタッフの若杉が、
めでたく独立することになりました。
なので全ての什器類は貸与、
商品は全て委託消化、
不動産契約も全て本人と直接契約にしてもらいました。
つまり、
今まで通りのことをしていれば、
これから給料ではなく販売手数料として、

ガッツリ収入になることになっていたのです。

ところが。
この年、日本は…
と言うより、
全世界で新型コロナウィルスが猛威を振るいました。
「外出してはいかん」
「人と接触してはいかん」
「多くで集まってはいかん 」…
洋服屋を営業する上で、
致命的な自粛生活に突入しました。
ドライボーンズ各店舗は、
ご覧の通り長い事営業してしてきたので、
国からの助成金などが出て(申請はすごく大変だったけれど)、
なんとかやりくり出来ました。
が、この年から新規開業という形をとった福岡店は、
全く助成金や補助金の対象にはならず(私は未だに納得出来ていない)。
この次の年である2021年、
福岡店は20年間の歴史を閉じる事になったのです。

その後、福岡店で店長&社長をやっていた若杉は、
現在故郷の熊本に戻ってアパレルに再挑戦。
GRENVILLE TAILORING
オーダースーツ等を扱っているようです。
お近くに行く機会があれば、是非。


 今月の私のブログは、
2回に分けて1989年から現在に至るまでを書いてみました。
思い起こせば1989年なんて、バブル真っ只中
この2年前である1987年、
民営化されたNTT株が販売されました。
最初は119万だった株価は、
公開から2ヶ月後には318万まで高騰。
また、都内近郊の土地は天井知らずで値上がりし続けていた時代。
正にバブル。
そんな最中に開業したドライボーンズ。
この35年間で、いろんな物事を見てきました。
世の中は大きく変化し、
地球規模での変化も見えてきています。
そんな中、
一貫して続けている事。
それは「モノづくりは文化である」という事です。
古いモノを知り、
研究して何かを見出し、
新しいモノに投影する。
そしてそれが次の世代に受け継がれていく。
これが「文化」だと思うのです。
Learn from Old,
Craft New Things,
Take over to Next.
英語として不完全だし正解ではないのですが…
私が言いたい事はこれであり、
ずっと一貫して続けてきた事です。
遺伝子が祖先の特徴を繋げてきた様に、
我々は過去の文化を繋げていきたいと思っています。

このフラッシャーの中に、
言い続けていきたい事が全部詰まっています。
今まで35年間も本当にありがとうございました。
そしてこれからも末長く、よろしくお願いいたします。

今月は35周年デニムフェアを開催中。
残り数日ではありますが、
みなさまのご来店をお待ちしております。

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